服部栄養専門学校卒業後、料理教室勤務や出張料理人などを経て、2005年『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、デビュー。 同作は芥川賞候補になる。 作家として作品を発表する一方、全国の食品メーカー、生産現場の取材記事を執筆。 料理家としても活動し、地域食材を活用したメニュー開発なども手がける。
服部栄養専門学校卒業後、料理教室勤務や出張料理人などを経て、2005年『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、デビュー。 同作は芥川賞候補になる。 作家として作品を発表する一方、全国の食品メーカー、生産現場の取材記事を執筆。 料理家としても活動し、地域食材を活用したメニュー開発なども手がける。
第1回 | 作家と料理家。 | │2021年11月29日(月) |
第2回 | 料理と書くことは 似ている。 |
│2021年11月30日(火) |
第3回 | 昔から構造にしか 興味がない。 |
│2021年12月1日(水) |
第4回 | 料理は結果が すぐでるからたのしい。 |
│2021年12月2日(木) |
第5回 | 安全圏にない料理を 目指したい。 |
│2021年12月3日(金) |
樋口
すぐに結果の出ない小説でも書いて3年くらい経つと、「あーあそこうまくいったかな」と思えるときがあります。
平井
書いた後に周りの感想を聞きながら、だんだんと気持ちを醸成していく感覚ですか。
樋口
僕は周りに感想はあまり聞かないんです。
平井
あ、そうですか。それはあえてですか。
樋口
そもそも感想を聞く機会があまりないというのもありますけど。ただ感想を聞くことにあまり意味はないなと。
平井
たとえば客観的な意見をもらえるとか。
樋口
それは書いている最中に、編集者から客観的な意見をフィードバックされているので、僕にとってはそれ以上の意見はあまり必要ないですね。感想とフィードバックは全然ちがうものなので。
平井
料理を食べた後の「おいしい」という感想と一緒ですかね。
樋口
そうです。うまくいったかそうでないかとか、時代に対してどうだったのかなど、書いた小説への自己評価はいろいろな要素が絡んでくるんです。だからわかってくるのに時間かかるんですよね。
平井
そういうもんですか。料理のレシピについても感想は気にならないですか。
樋口
それはね、やっぱり気になりますね。でも気にしないようにもしていて。
平井
感想に引っ張られたくない?
樋口
引っ張られたくないというか、そもそも引っ張られなくなりますよ。レシピをこれだけたくさん出していると。料理は10人が食べたら10人とも感想は違いますから。全員がおいしいていう料理は、まーないでしょうね。それは安全圏に入っちゃっている料理ですよ。
平井
安全圏にはない料理の方がいいですか。
樋口
安全圏じゃない料理を目指したいですね。それこそ寿司を最初につくった人は、周りから賛否両論あったと思いますよ。
平井
でしょうね。誰もがあの形を初めて目にするわけですからね。
樋口
ご飯とネタが一緒になっているのは、気持ち悪いかもしれない。そこはわけてよ!と思ったんじゃないですかねぇ。
平井
ははは。
樋口
まー、それはクリエイティブとして料理を考えたときの話で。レシピは別です。レシピの場合は、自分が料理をつくらないので。おいしいと言われても、それはつくったあなたがすごいんですよ、という話です。レシピは設計図みたいなものなので。
平井
変な質問になりますが。レシピを見た読者から樋口さんにクレームが入ることはありますか。わかりづらいとか、つくったけどおいしくないとか。
樋口
上手にできませんでしたというのはたまにあります。レシピのここがわかりづらくて失敗したと言われることがあるので、それはフィードバックとしてすごく大事でそこを踏まえて次からはこう書こうかと活かしています。
平井
はい。
樋口
でも、「しょっぱかった」や「甘かった」とかの感想は気にしません。妻が愛媛の人なんですが、愛媛の料理って、甘いんですよ。愛媛に行って料理を食べたとき、「こんなに甘いんだ!」って。こういう人たちに食べてもらうためのレシピなら僕も合わせにいきます。
でも、味は自分の軸を持っていた方が絶対にいいですよ。他者に評価を委ねるとロクなことがないです。自分の軸を持っている方が、柔軟に合わせられるんですよ。
平井
それは大切にされていることですか。
樋口
大切にしていることですね。肉を焼くのって、どこで裏返すとか判断するんです。それは自分で決めるしかありません。おいしいとかおいしくないと判断するのも自分です。それを委ね始めると、例えば「note」で1万PVの記事が良い記事だとか、PVの少ない記事はいまいちだったよね、となるわけですよ。
そういう他者の評価はどうでもいい。それよりも記事を安定的に出すとか、料理を安定的につくるとか、その方が大事。だから小説も書き終えて3年くらい経って、自分の中で良かったなと思える部分が出てくればOKなんです。
平井
なるほど。
樋口
物書きの仕事を10年くらいやっていると、さすがに他者の評価が気にならなくなってきますよ。
平井
始めたときはそうではなかったですか。
樋口
なかったですね。小説を書き始めたころは不安でした。でも、料理はそんなことないんですよね。料理のレシピは、世に出たらもう手を離れる感じ。以前、スープ作家の有賀薫さんに「樋口さんは冷たい」て言われちゃいましたけど。
平井
ははははは!
樋口
たしかに冷たいのかもしれないですねぇ。
平井
樋口さんはクールとかそういう印象を持たれることが多いですか。
樋口
そうかもしれないですね。僕はツールを提供しているつもりです。レシピは道具だと思っている。それをどう使うかは、使う人に委ねるべきだと思っています。料理を教えていると周りからは見られるんですが、そのつもりはなくて。料理教室をやることにもあんまり興味がないですし。
平井
樋口さんとお話していて印象的なのは、自分の基準を持たれているなということ。これは料理とか書くことだけのことではなく、人生のあらゆることに通じるなと思いました。
樋口
そう思うんですけどね。それは人の意見を聞くなということじゃなくて。
平井
はい。
樋口
意見聞くにも、自分の基準やスタンスがないと。僕にとってのそれが科学だったのかもしれない。科学はブレないですから。
平井
僕が大学で数学を勉強していて印象的だったのは、岡潔の言っていた「数学は感情が大事」だということなんです。要は公式並べて机上では正しいことだったとしても、それをだれかに伝えて見てもらうときに、見た人が納得しない限り示したものはそこに存在しないに等しい。そして納得してもらうには感情こそが必要であると。
僕はこのことに触れて、アウトプットしたものもそれを感情をもって理解する相手がいないと、そのアウトプット自体に意味がないんだと、それは仕事でもそうだなと理解しました。僕の基準になっていますね。
樋口
それ、わかります。比喩になりますけど、「図形の円を書いてください」と言われて、円の中を塗りつぶしてそこに円を表現するか、円の外側を埋めて円を表現するのか。どっちも円を描いていることにはなる。僕は外側を埋める派なんですよ。
平井
なるほど。輪郭が浮かびあがる。
樋口
つまりそれが構造なんですよ。
取材当日は樋口さんの事務所にお邪魔しました。そこには大きなキッチンと、たくさんの調理器具や食器たちが並び、「ここで料理を研究しているのかぁ」と、「料理研究家 樋口直哉」の一端を垣間見ました。後日、樋口さんの食事会に招待いただき、ショクマガスタッフと一緒に事務所を訪問。そこでの料理は、すべて「料理人 樋口直哉」によるもので、特別な日に行くような料理店さながらのコース料理。そんな料理の中にも、家庭的なやさしさや、堅苦しくない大衆的なたのしさを感じて、とてもおいしく堪能させていただきました。肩書きと同じように樋口さんのさまざまな顔を拝見してきましたが、つくる料理もそうなんだなと、底の知れない樋口さんの魅力にますますハマってしまいました。
(Shokuyokuマガジン編集長/平井巧)
<終わります>