平井
藤川さんは岐阜のお生まれとのことですが、どんな子ども時代を過ごされたんですか?
藤川
オトンは名古屋の出身で、オカンは岐阜の石徹白の出身。石徹白は日本の原風景が残る地域で、いまでこそ「石徹白洋品店」の平野さんご夫婦のようなおもしろい方たちがいますが、それまではあまり注目されることのない静かな地域でした。ゴールデンウィークやお盆に石徹白に行っては、畑で獲れたとうもろこしを食べたり、川で冷やしたトマトやきゅうりをかじったり。そういう思い出はたくさんあります。
ほかの思い出だと、毎週土曜日の昼に食べるピザトーストがものすごく好きで、よく食べていました。あとオカンがつくるパスタも好きでしたね。
平井
お母さまは料理が得意な方だったんですか。
藤川
うーん、どうだろう。山の人なので、ものすごく味つけが濃かったです(笑) いまでも実家に帰ると「味、濃いな!」って。でもおいしかったです。
平井
ははは。
藤川
高校生のときに家で料理の手伝いをしたりとか、テレビで「ビストロスマップ」を観たり、漫画の『ミスター味っ子』を読んで、じぶんで料理をしてみたりして。それで将来は料理人になりたいなと考えるようになりました。だからこのさき料理の専門学校へ行くか、大学へ行くかで迷っていました。
結局大学に行くことになるんですが、大学ではラグビーをしたり、アルバイトや飲み会に明け暮れて、料理人になる気持ちはすっかり忘れていました(笑) でもさっき話したように、大学4年で行った海外のバックパッカーの旅で、現地の料理人や、星付きレストランで働いている日本人など夢を追いかけている人の姿を間近で見て、「あぁ、おれは料理人になりたかったんだ」とあらためて思い出して。
平井
料理の世界への気持ちを、そこで思い出したんですね。
藤川
文筆家の井川直子さんが好きなんですが、旅で立ち寄ったフランスの宿に、井川さんの本がたまたま置いてあって、一気に読んでしまって。興奮してその日の夜は眠れませんでした。
平井
その本はどういう内容だったんですか。
藤川
『イタリアに行ってコックになる』という本で、イタリアのリストランテで修業する日本人の若者24人の想いに触れる本なんです。
平井
運命ですね。
藤川
偶然ですけどね。ずっとモヤモヤしていたので。新聞記者とか、「書く仕事に就こうかな」なんて考えたこともありました。
平井
いろいろ迷われていた。
藤川
旅の途中、イタリアのナポリにあるお店に飛び込んで、3か月くらい働かせてもらいピザのつくり方を学んだんです。このピザづくりがものすごくおもしろくて。このまま旅をつづけたい思いもあったけど、ピザでたのしいことを見つけちゃったので、それを活かして「日本に帰って何かしたい」という気持ちが湧き出てきました。
でも、日本にいる友人や先輩は企業に就職していて、「飲食業でやっていくのって将来的にどうなんだろう」と悩みました。だけどやってみようと思って、帰国して名古屋のレストランでアルバイトとして働きはじめました。働きはじめてすぐに、そのレストランがサンフランシスコのバークレーにある「シェ・パニース」に連れて行ってくれたんです。
平井
研修のようなものですか。
藤川
そうですね。「シェ・パニース」では、つかう食材そのものが本当においしかったり、ほうれん草をバターで炒めた簡単なものでもおいしくて。口にした瞬間に「え?!」って。
平井
おぉ、それはすごい経験ですね。
藤川
アルバイトで務めた名古屋のレストランも、地産地消を大事にしていました。愛知、岐阜、長野のおいしい魚介や山のものを生産者のところへ行って仕入れて。土から生えたアスパラを獲ってそのままかじったり、原体験ができたのは大きかったです。食を大切にする姿勢はそのレストランや「シェ・パニース」で学びましたね。
平井
チーズについてはどこで学ばれたんですか? おそらくチーズのことをものすごく勉強されたんだろうなと。
藤川
それはもう、ものすごく大変でした(笑) あのころは、チーズのことを何も知りませんでした。
平井
勉強すればするほど、知ること以上に、「何を知らないか」に気づかされる。
藤川
そうなんですよ。大学の卒論では「水牛のモッツァレラ」について取り上げて、ナポリの大学に行って調査したこともあって。現地にある本をたくさん買い込んで、牛のこと、ミルクのこと、チーズの製法などを勉強しました。イタリアのピザ屋さんで働いているころも、近くの牧場に行って現場を見学させてもらいました。でもチーズのつくり方はほとんど独学です。「青空モッツァレラ」と言って、牧場の青空の下でチーズをつくったこともあります。
平井
そのころに工房でチーズをつくる経験はできないですよね。
藤川
そうですね。だからじぶんの家で機材揃えてつくっていました。そうやって経験値を増やしていったんですけど、学ぶことは多かったです。原料の牛乳が簡単に買えるものじゃないんだなとか。保健所とのやり取りも大変でしたね。事例がないから参考にするものがなくて。
平井
なるほど。そうやって勉強しながら、チーズスタンドのお店をつくる計画をすこしずつ描いていったんですね。
藤川
そうです。できたてのチーズやピザが食べられる、そういう店をやろうと。卒論を発表したのが23歳のときで、「CHEESE STAND」をオープンしたのが29歳のとき。その6年の間に、時間があったらお店のスケッチを描いたり事業計画を立てていました。
平井
6年間いろいろと考えていたら、チーズスタンドのほかにもやりたいことがあったんじゃないですか?
藤川
いまでもピザ屋はやりたいと思っています。でもピザ屋をやるとなったら、ピザをつくる人、チーズをつくる人などいろいろ専門職を増やさなければならなくて。すぐにはできないですね。
平井
そうした中で、昨年は尾山台に新しく「CHEESE STAND LAB」をオープンされました。
藤川
新店舗は主に熟成チーズをつくる工房になります。チーズ工房ってそんなにバンバン建てるものじゃないんですけどね(笑) 白カビの入ったカマンベールチーズや、セミハードと呼ばれる3か月くらい熟成させたゴーダチーズなどを製造・販売しています。ラボの名前のとおり実験的なこともやっていきたい。和のチーズをつくったり。
平井
おぉ、それはたのしみです。たくさんのご縁があって、お店も増えているんですね。
藤川
本当にありがたいことです。2008年に東京へ出てきたころは、知り合いなんてほとんどいなかったですからね。
平井
そうなんですね。人と話すのは苦手ですか(笑)
藤川
んーーー、どうでしょう。人とのご縁は大事にしていますが、どうにもシャイですね(笑)
<つづく>