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Shokuyokuマガジン|ショクマガ (@Shokuyoku3) | Twitter
食べるために生きている

誰にも内緒で20年間ひっそりと、
パックの卵についているシールを集めている。
ガラスケースに並ぶドーナツを見て、
「ドーナツの穴はなんであるんだろう」とずっと気にしてしまう。
そんなエピソードをもつエッセイストの平井萌さんに、
食について感じたことを連載してもらいます。
平井さんの視点で、暮らしの中の食をのぞいてみたいと思います。
月に一度更新します。

ひらいめぐみ
物書き
1992年生まれ。すきな食べものはかんぴょう巻きとメロンパンとおでん。 趣味はたまごの上についているシールを集めること。特技は気に入ったものなら同じものを飽きずに食べ続けられること。
お昼ごはんを食べるときはいつも夕飯のことを考えている。食べるのが遅く、いつも食べている途中でお皿を下げられそうになる。

第4回
愛しのかんぴょう巻き

わたしは数年おきに味覚が変わる。最初の波は、チョコがけのオールドファッションだ。子どものころは揚げものが食べられず、ドーナツももれなくそのうちのひとつだった。ところが大学3、4年生のあるときから急にチョコがけのオールドファッションが食べたくてたまらなくなった時期があった。結果、毎朝のように食べていた。一年に一度食べるかどうかの今となっては、なぜあんなにドーナツが食べたかったのか不思議でたまらない。

次にナポリタン、ラーメンと、変わらず数年おきに味覚の転換期はやってきた。マイブームと呼ぶにはひとつの食べものに傾倒しすぎていたし、おいしさを追い求めているわけでもなかった。

だから、毎日のように同じものを食べていると、ナポリタンやラーメンが好きだと思われているんじゃないか、と心配になる。好きだから食べるのと、食べたくて食べるのは別だからだ。ナポリタンが食べたいときは、ひたすらにマ・マーの冷凍食品のナポリタンを食べていた。ラーメンのお店を聞かれても一蘭しか分からない。

それに、わたしには圧倒的な本命がいる。かんぴょう巻きだ。かんぴょう巻きは29年間不動の地位を築いており(生まれてからの数年間は口にしたことがないかもしれないけれど)、大人になってから驚くほどおいしいものに出会ったこともあったが、やっぱりかんぴょう巻きを超える食べものは現れない。

カテゴリーが「お寿司」であることが何よりも強い。「魚が入ってない寿司なんて寿司じゃない」と言う人がたまにいるが、その人が生まれる前からかんぴょう巻きが寿司だった事実には敵わない。

かんぴょう巻きの魅力は語りつくせないほどあるけれど、第一に食べやすい。醤油がつけやすく、誰でも上手に食べることができる。一方で魚のネタが乗った寿司といえば、ネタが醤油皿に落ちたり、シャリがばらばらになったりと、高確率でばらばらになる。UXを考えたら、たまごのようにみな海苔で固定されるべきである。

次に、どこのお店でも揺るぎない品質が保たれていることもポイントが高い。他のネタの場合、お店によって質がまちまちでがっかりすることもある。でも、かんぴょう巻きは基本的にどこでもおいしい。スーパーや回転寿司など手頃な値段のお寿司屋さんでも期待を裏切らない味を提供してくれる。

さらに、あんなにおいしいのに驚くほど安い。「今日は贅沢をしよう」と思ってかんぴょう巻きを買おうとしても、ひとパックせいぜい2、300円である。たったひと巻きで、肉じゃがやすき焼きと戦えるくらいのおいしさのバランスを持っているのに、だ。「甘い」と「しょっぱい」、お米と海苔。こんなにコンパクトにおいしさを体現している食べものとは、出会ったことがない。どう考えても寿司界のトップなのだ。

それなのに、なぜか世間では微妙な立ち位置である。納得がいかない。スーパーでは値引きシールが貼られ、夜遅くまでぽつんと残っていることがしばしばあり、かんぴょう巻きのそんな姿を見るたびに胸が痛くなった。また、「巻物を頼むときは締めの合図」「かんぴょう巻きを締めに頼む人は通」など、作法のために頼むものとされるのも、何だかもやもやしてしまう。それでは寿司のネタのひとつとしてカウントされていないようで、かんぴょう巻きがかわいそうだ。

そこまで好きなのにも関わらず、毎日のように食べることをしないのは、わたしにとって特別なときに食べるものだからなんだろう。実際、かんぴょう巻きを含む巻き寿司は200年ほど前から「ハレの日」のご馳走として作られていたようだった。

最近では本当にいろいろな食べものを食べられる。タイ料理やインドカレーは大人になってから初めて食べたけれど、東京では驚くほどさまざまな国の料理が楽しめるお店がある。でもそこで新しい料理に触れるたびに思い浮かべるのは、やっぱりかんぴょう巻きなのだ。

「かんぴょう巻きは寿司じゃない」という過激派には、一度幼少期を思い出してみてほしい。そして、問いたい。「かんぴょう巻き、絶対食べてましたよね?」と。甘辛くて、食べやすくて、落ち着く配色。きっと誰しも子どものころは大好きだったはずだ。

老若男女に親しみのあるかんぴょう巻き、実はかんぴょうが作られるまでの工程にも魅力が詰まっている。「かんぴょうむき」でぜひ検索してほしい。原料である夕顔を職人が削る様子はものすごく爽快で、何時間でも見ていられる。そのあと干されている姿もかわいらしいし、そこから味付けされて酢飯に巻かれていくのだと思うと、かんぴょう巻きに対する愛おしさもマシマシである。

もしかしたら、「嫌いじゃないけどちょっと存在を忘れていた」という方もいるかもしれない。大丈夫。今からでも間に合います。かんぴょう巻きは、いつでも同じ顔をして待ってくれているのだから。

(文・ひらいめぐみ/絵・山口眞央)

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